代表者挨拶

就労事業

     三上理事長

朝9時15分、白浜方面から2名、館山市内から5名が乗った送迎車両が到着、車は「24時間テレビ」から寄贈された車椅子対応の送迎車両です。近所から歩いたり自転車で来た利用者を含め10数名がタイムレコーダーで入所時間を登録し作業場に集まります。

全員揃ってラジオ体操をしたあと朝礼。職員が「皆さん、今日も元気ですか、体調の悪い人はいませんか? 今週の予定は・・・」と朝の挨拶。毎週月曜日は全員参加のミーティングがあり、前週末の休日の行動を一人ひとり皆の前で発表。散歩をした、買い物に行った、疲れて寝ていたなどと披露、職員が個々人にアドバイスを送るなどしてミーティングは終了しそれぞれの仕事場に着きます。

午前中2回、昼食休み、午後2回の休憩を挟んで午後3時半に帰宅します。館山憩いの家共同作業所の一日はこんな風に過ぎてゆきます。
指導員(職員)は以下の方針を心がけながら、心身共に健康を維持できるよう支援を行っています。

  • 作業所へ来ることが楽しみとなり心が安らぐ憩いの場を作ること
  • 社会生活に順応し、他人と普通に関わることが出来る社交性をみにつけてもらうこと
  • 自らの考えをまとめ他人に対し表現する力をつけること
  • 仕事のスキルを習得し、就業の場へ着ける能力を身につけること

共同生活援助事業

館山地域、鴨川地域にて8か所のグループホーム事業を展開しております。約30名の利用者が入居し、世話人は毎月職員を交えて連絡会議を開催し情報を交換しております。

家族による家族学習会

家族が学んでいただくことは、病気や治療に関することはもとより、リハビリ・福祉制度や障がい者に関係する法制度、利用できる社会資源など多方面にわたります。家族会ではこれらの学習を、家族教室・研修会・講演会などを通して実践しています。また、家族は聞き手としてだけ参加するのではなく、家族の声を発し、話し合える場として、互いに励まし気づきを得る場所ともなっています。


文明の過度な進歩の反面、精神面への配慮がとかく欠けがちな現代、ますます増加する精神障がい者の自立のために「なの花会」は努力を続けてまいります。

設立者挨拶

    設立者 早船 亮一

Kさんという方の体験を紹介したいと思います。少し要約させていただきます。


「あなたが精神障がい者になったのは運命ですよ。誰が悪いわけでもない、両親の責任でもないし、運命なのだから」と、私の主治医から言われました。平成5年に最後の退院をしてから8年、病状も安定してきた私に、先生の言葉は素直に受け止められました。

私は21年間、一度の退院もせず精神病院に入院しておりました。初めて退院したその日、久しぶりで家に帰れると思っていた期待は見事に裏切られ、電気製品や台所用品を買ってくれた兄は先に帰ってしまい、その夜は片付かない部屋でみじめな思いをしました。

その後、何度か入退院を繰り返しました。退院に力を貸してくれたA先生は、薬を替えて社会に出られるようにしてくれました。ずっと入院させておくつもりの兄も説得してくれました。精神障がい者に対する根強い偏見が社会の中に満ちています。自分自身や家族の中にも偏見はあります。マスコミの報道姿勢にはいつも疑問を抱きます。加害者は精神病院への通院歴があるとか、入退院を繰り返していたとか言うなら、いっそ名前を公表して病歴には触れないでほしいと思います。多くの真面目な患者が悲しい思いをしています。

私は、冠婚葬祭その他一切、家に呼ばれません。私の帰宅は拒否されています。父母の葬式さえ知りませんでした。私が家に帰れるのは4年に一度オリンピックのある年だけです。義理があるからと、村会議員の不在者投票をさせるために、兄が迎えに来るのです。お正月やお盆になるといつも家に帰りたいと思います。知人に頼んでお墓参りをし、家の前を素通りした事が二回ほどありました。

病状によっては、20年、30年と、長期入院の人が大勢います。退院したくても引受先が無いために、退院出来ないのです。色々な障害の中で精神障がい者に対する行政の対応が一番遅れています。精神障がい者に社会が暖かい目を向けてくれる事を願っています。宿泊設備の付いた作業所、友達と安心して集まれる場所など、社会と病院の中間施設を是非作って頂きたい思います。

兄は私が働けなくなったらまた、精神病院に戻るようにと言ってます。しかし私は精神病院が終わりのすみかとならない様に願っています。私はあと3年で還暦を迎えますが、60歳になったら献体の手続きを取るつもりでいます。最後に、私は生まれて良かったと思います。

Kさんが体験したことは、遠い昔のことでも、どこかよそのできごとでもありません。この安房の地でも起きている現実です。精神障がい者がふつうの人間らしく家族と共に過ごしたいと願ってもかないません。家族には本人がこの世に居ない事になっている場合さえもあります。障がい者は、好きこのんでこの病気になったのではありません。家族の身替わりとなってその病気を引き受けてくれているのかもしれません。それなのに一方的に見殺しにされてしまうようなことが、これまでは起きていたのです。


Kさんが社会復帰してから10年以上が経過し、精神障がい者に対する法的な整備は大きく前進し、地域支援への道も開かれつつあります。しかし他の先進国と比べると制度もさることながら、この障がいに対する社会的な偏見は根強いものがあり、マスコミも含めてより一層の理解を深めるための努力を積み重ねていかなくてはなりません。私はそのために一生闘っていきます。

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